日常化したアートを非日常化するクリエイターに夢見る人たち

No_02|クリスト

概要

日常化するアートを布で包む意味とは?

刹那的な芸術はどうやって実現したのか

費用よりも大変だったのは

成功の秘訣はアイデアと巻き込み力

2021年9月、フランス・パリのエトワール凱旋門が布で覆われたというニュースを知った。いたずらにしては大がかりだし、一朝一夕でできるとは思えない。

異質な風景の先には、クリストとジャンヌ=クロードという二人の現代美術作家の存在があった。

実は、凱旋門を布で包むというのは二人が1961年に構想し、50年の時を超えて実現した夢だった。果たして二人はどのような芸術家で、なぜこのような夢を実現することが出来たのか考察する。

日常化するアートを布で包む意味とは?

クリストとジャンヌ=クロードは、奇しくも同じ1935年6月13日に誕生している。

別々の場所で誕生し、1958年にパリで運命的な出会いを果たす。アーティストとしての活動を始めた二人は、1964年にはニューヨークへ渡り、世界中でさまざまなプロジェクトで人々を驚かせた。

ジャンヌ=クロードは2009年に亡くなり、二人の夢の実現に向けて意欲的に活動を続けていたクリストも2020年に亡くなる。

凱旋門以外にも、ドイツの帝国議会議事堂を梱包したり、バーゼル市の公園の巨木から低木までを銀色のポリエチレン布で包んだり、ほかのアーティストとは一線を画した作品を実現している。

梱包がアートなる理由は、物体を布で包むことで、その物体を隠し、その場所に存在していることが当たり前ではないことを表現しているのではと思う。昨日まであった凱旋門が、ある日突然布で包まれていたら、見た人はそれぞれの想像のなかでアートを生み出すだろう。

また、布で包むという行為は、その後も継続できるものではない永遠ならざるもので、ある意味刹那的な芸術を表現しているとも言えるのではないだろうか。一時的に布に包まれた物体が、一定期間を超えると無くなってしまうという、これまでの芸術とは異なる表現が人の心を揺さぶるのかもしれない。

刹那的な芸術はどうやって実現したのか

1400年の歴史を誇る法隆寺が、維持管理にかかる費用や、その諸経費のためにクラウドファンディングを用いて支援金を集めているというニュースを見た記憶がある。

長い歴史を経て、現代でも姿を残している法隆寺を未来にも残そうと、クラウドファンディングで支援する気持ちは理解できる。

クリストとジャンヌ=クロードが実現しようとしている「梱包」という刹那的な芸術に費用が集まるとは正直考えにくい。一定期間経てば無くなってしまうものに、お金を出そうという人間がどれくらいいるのだろうか。

美術の世界だから「パトロン」がいて、芸術家に対して出資をしていくれる存在がいると考える人もいるだろう。しかし、クリストとジャンヌ=クロードには「パトロン」はいない。大がかりな梱包になると億をこえる費用が必要となるが、彼らは自力で調達しているのだ。後世に遺す作品でもなく、パトロンでもないなら、どうやって自力で調達したのだろうか。

クリストとジャンヌ=クロードは、卓越した「アイデア」と大勢の人を「巻き込む力」によって資金を調達したのだ。

彼らの表現する芸術を作る過程は、寧ろ「工事」と表現した方がいいかもしれない。エンジニアや建設会社に支払う費用や、許可を得るための専門家の費用など、一般的な芸術では発生しないような費用が必要となる。

二人が実践したのは、プロジェクトの完成形を予想して描いたドローイングやコラージュを販売し、資金を工面する方法だった。必要な資金は、数億円、数十億円に達する場合もある。途方もない時間が必要だったであろうことは想像に容易い。

実際に凱旋門のプロジェクトでは、日本円にして約18億円の費用が必要だったといわれており、その費用捻出のために70点ほどの絵画をクロードは制作したそうだ。クロードは、この費用捻出のプロセスすらアートとして表現してしまったのかもしれない。

費用よりも大変だったのは

費用の調達よりも大変だったのは、許可を得ることだったそうだ。

布を使って大規模なアートを表現するには、大規模な建造物などが必要となる。ドイツの帝国議会議事堂や、パリの凱旋門を布で包みたいと言われて、二つ返事で引き受けるとは思わないだろう。

手紙を送って、はいわかりましたとはならない世界で、クリストとジャンヌ=クロードは、行政の公聴会や住民のみなさんへの説明会に赴き、自らの言葉で説明を行った。時には、一軒一軒の家を訪ねて理解を得たこともあるそうだ。梱包というかつてない芸術を理解してもらうには、代理人では役不足で、本人が伝えなければならないと彼らは言っていたそうだ。

アーティストやクリエイターのなかには、良い物を作っていればいつかわかってもらえるだろうと考える人も少なくない。クリストとジャンヌ=クロードの行動をみていると、それではいけないのではないのかと思う。

自分の作品を、自分以上に伝えられる人はいるのだろうか?あなた自身が、あなた自身の言葉で作品を伝えることが重要なのではないだろうか。

自動車のCMの変化からも同じことが言えるのではないだろうか。昔のCMでは自動車の性能や、かっこよさがPRされていたが、近ごろでは、どのように使うかというストーリーが語られるようになった。トヨタに至っては、社長自らCMに登場し、コンセプトなどを熱く語られるようになってきている。

クリストとジャンヌ=クロードは、自らの言葉で一人一人に丁寧に想いを伝えていった。なかにはすぐには賛成されず、断られる日々を過ごしたこともあるだろう。実際、ドイツの帝国議会議事堂で実現する際には、ドイツ政府から3度拒否されている。

このコツコツとした草の根活動の甲斐もあり、応援する人も現れ、販売されているドローイングやコラージュを購入した人もいただろう。近道のないアナログな方法で、大衆を巻き込んでいった結果だろう。

成功の秘訣はアイデアと巻き込み力

完成形を予想して描いたドローイングやコラージュを販売するというアイデアと、関係者を一人一人、自分の言葉で説得している巻き込み力で、長い時間をかけて大きなプロジェクトを成功させてきたクリストとジャンヌ=クロード。彼らの手法は、短期的な成功は難しいかもしれないが、長期的な目線で考えると王道だと私は思う。

パリの凱旋門のプロジェクトが実現したのは二人が亡くなった後の2021年だ。彼らの思いは死後も伝わった結果、前代未聞のプロジェクトは達成されている。いかに二人が多くの人を巻き込んできたのかがわかる事例だ。

クリストとジャンヌ=クロードは、永遠ならざる芸術を実現して、永遠の思いを世界に発信したのではないだろうか。